屈折する星屑エセー

世はさだめなきこそ いみじけれ

断捨離を断捨離。まだ断捨離なんかやってるの?マキシマリストへの道。これが令和の目標。

以前このような記事を書きました。

おや、ちょうど一年前ですか。 時が経つのは早いですなぁ。

xray-stardust.hatenadiary.com

この時はモノをいかに減らすか、ということに腐心していたのでしょう。

モノを減らせばその先に何か見えるものがあるのではないか。

断捨離という実践哲学にいくばくかの期待があったことは否定しません。

 

記事の上梓より一年後の今、到達した結論があります。

 

マキシマリストになる!!

 

これが今後の、いや人生の目標になってこようかと思います。

 

いや、どうしたどうした!

数ヶ月前はてな民とした約束は忘れちゃったのかよ!!とね。

それに世間のムーブメントとは逆行していますから。

あえてもう一言付け加えるなら、

 

断捨離を断捨離

 

これをモットーにしたいですね。

 

なぜ180度も思想を変えたのか。

このライフスタイルの転換の契機は当然一人荷造りにあります。

妻と子供が実家にいる間、新居への引っ越しに備えアパートの荷物を筆者一人で梱包していたのですが、出るわ出るわ引き出しと棚とタンスの奥の方から大量の調味料、靴、雑貨の数々。

そう、ウチのカミさんは断捨離派の恰好のターゲットになっている“捨てられない症候群”の持ち主なのです。しかし捨てられないというのは何らかの理由があって、それが捨てたくないモノでもあるわけで。

ただ2年前に賞味期限が切れた豆板醤や湿気のために数枚がくっついて分厚くなった有明海苔などはどう考えても捨てない理由はそこに存在していないですね。

なんでもかんでも空いたスペースに押し込むから何かのきっかけで大量の強制収容させられたモノたちが堰を切ったように流れて出てくる。

筆者はこれを押し込み術と名付けました。

ですので新居に移った今後はカミさんにこの秘儀・押し込み術を封印してもらうようにお願いしたところであります。

 

もちろん筆者自身も荷造りの過程でミニマリストの素質がないことがわかりました。

モノが多すぎる。

よせばいいのにわざわざ中古ショップに行ってはレコードや本を「これや!」と思って持って帰る日々。何かを手にしないと帰りたくないのかね。

特に最近ではメルカリが本の増殖に一役買っていて(だって送料込みで格安ですし)読まない書籍がどんどんを積まれていきます。積ん読タワーが今日も順調に成長している。
そして災害を意識して始めたキャンプですが、サバイバルは何処吹く風。キャンプをキャンプとして楽しもうとしているため、ギアが増殖しています。

キャンプとセットで釣りもだんだん本腰を入れ始めたので釣り道具は色々と増えていますよ。

付け加えるなら、ウイスキーのおまけグラスも可愛くてつい手が伸びてしまう。

トドメは子供です。

子供のモノ達がこれからは山のように家を占拠することになるでしょう。

 

もう物を捨てる気ないだろ!

 

と言われれば至極その通り。

だってね、家買ったもの。

家を購入した今、ミニマリストにはなれるはずがありません。

ローンを抱えたミニマリストってそれアレな感じが出るじゃないか。

まぁそこまでいかずとも、家まで買っておきながら家の中空っぽというのは寂しさで満ち溢れますよね。訳あり感も出てきます。

子供がいて家もあるのにミニマリストはなんか怖いですね。

家族で暮らしているのに、いざ家の中に入ってみると何もないというのは得体の知れない恐怖を感じませんか。

 

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Photo by David Rangel on Unsplash

 

サブブログの住宅ブログをご覧の方はご存知だと思いますが、家に薪ストーブをつけるようにしました。これってつまり燃料の薪が何百本も必要ということであってですね。

その時点でミニマリスト失格だと思うのですよ。

身の回りの整理以前に新生活には断捨離こそが必要ないということがすでに決定していたのです。家の契約時にね。

なんだ今気づいた。

 

今日の記事はミニマリストやアドレスホッパーを否定しているのではなくて、筆者自身のライフスタイルの変化から物を置く生活へシフトした話の紹介です。

というのを言い訳に物を増やしまくろうと思います。

 

NOT押し込み術。

 

もっとも意識せずとも広い空間があれば隙間を埋めたくなるものです。自然とモノは増えてゆくでしょう。

 

ここでとある人物の言葉を引用したい。

 

モノというものは使用や必要という理由のためだけに存在が許されるのではなくて、この必要不必要で定義される二元論が物質の意義を支配しているからこそ断捨離という美辞麗句で固められた、ただの“処分”が流行るのであり、そこにはモノのたどってきたストーリーが欠落している。

モノが目の前にある。

これは様々な過程を経て作られあるいは色々な人の手に渡り最後に今そこにあると言うモノのこれまでの歴史が物質としてのモノと同時に存在している。そこにはモノの物質としての面だけではなくモノの歴史も置いているのであり、そこには必要不必要という概念は入り込む余地が残されていないのだ。

つまり、いるいらないでモノの価値を測るようなことはせず存在しているというそれだけの理由のみで「モノがある」という状態を許されていても構わないと考えている。

これは使用価値のあるモノだけしか存在が許されないのではなく、何かよくわからない“もの”も置いてもいいじゃないかという提言なのだ。

 

引用『屈折する星屑エセー』はてなブロガー星の屑 

 

家に入れば一家の人となりがわかるようにカラーをもので出していきたいと思います。

やはり目標は映画『グラントリノ』のガレージになるでしょう。

主役のじいさん(クリントイーストウッド)が生涯をかけて集めたものたち。あのような素敵なものに囲まれて生きていきたいですね。

 

この記事を読んで共感して頂いたあなた。

筆者と一緒にミニマリストを卒業してセンスのあるマキシマリストになりましょう。

大丈夫、ものを増やすのは怖くない。たった一言添えるだけ。

 

 

これ一生ものだから!!

 

 

ね、ものを増やす罪悪感なんぞ吹き飛んだでしょう?

以上借金マキシマリス星の屑でした。

どうでもよい長文、読んでいただきありがとうございました。

無駄に長い記事というのが本テーマを象徴していてGOODですね!